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R.Shingen's Blog

人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話(4)

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#写真は題とは関係なく、神戸ポートタワーから見た神戸市内。Canon EOS 40Dで撮影。

以下、特に断りのない限り、引用は「人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話」から行っている。

トレブリンカの生き残りのチェコ系ユダヤ人、リヒャルト・グラツァールの言葉。

「生への渇望が生き残るための重要な要素だったとすれば」とリヒャルト・グラツァールは言った。
「それは単なる感情というより本能的な行動だったとも言える。それは、ほどんど無意識的な行動だった。
それにプラスして、人との関係ー友情ーがあった。もちろん、単独行動を好む人もいた。
とにかく、大切なのは自分自身だけで、ほかの連中はどうなってもいい、と割り切って生き残った人々だ。
しかし、彼らは、それでも誰かの助けがあったからこそ、生き残れたんだ。
一方では、彼と同じようにーほとんど同程度にー運命を受け容れた犠牲者がいたから、生き残れた。
そのことに対して、生き残りも罪悪感は感じている。
それは、自分が生き残るために彼らを犠牲にしたというより・・・。
むしろ、彼らのために何もしなかったという・・・。
いや、何もできなかったという感情から来ている。」


何かこの部分は、
アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界」で、著者の会田雄次が生き残ったことについて、罪悪感を感じていることに通じると思う。。
すぐに本を出せないので、記憶で書くが、
 死んだのは、ちょっとぼんやりした、割合正直な人が多かったような気がする。
 そのような人々に対して、心から恥ずかしいと思う。
という一種の「慚愧(ざんき)に堪えかねない」記述だったような覚えがある。

しかしそう語るグラツァールは、正直にも、下記の発言(最初の英語版になかったのを、ドイツ語版に、強い希望で入れたとのこと。)をしている。
ユダヤ人の移送が少なくなると、没収すべく食料もなくなり、チフスで倒れる者が続出した
ーつまり、本来の収容所の食事ではまったく足りなかった。

「気力も失せた頃ーそれは三月末頃のことだったークルト・フランツ(引用者注:親衛隊の凶暴な看守)が労務者用バラックにやってきた。
彼は顔を輝かせて、こう言った。『明日から、また移送が始まるぞ。』それで、われわれの心にどんな変化が起きたと思う?
あぁ、これでやっと飯が腹いっぱい食えるぞ、万歳!という気持ちだ。
それが事実だった。われわれはそこまで堕落していたんだ。」


死ぬのも辛いが、生き残るのも地獄。

ちなみにリヒャルト・グラツァールは、英語版Wikipediaによると、
妻の死後、プラハで窓から飛び降りて自殺している。
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by rshingen | 2009-05-10 00:07 | その他全般

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