今更ながら『ルーツ』考
『ルーツ』をDVDで見た。知り合いからは「今更なんで・・・」と聞かれたが、有名な作品なので、いつかはちゃんと見ようと思っていたのである。
で、感想だが、アメリカ合衆国における、黒人の迫害の歴史(奴隷と、解放後の偏見)を、家族四(三)代のドラマで描くもので、DVDでの音声解説にもあるように、製作側は家族ドラマとしても作ったと言っている。まぁそうだ。
でも見ている側はこう思うだろう。『黒人は、白人にひどい目にあっていたのだなぁ』
しかし、ドラマの中の黒人(セネガンビアで奴隷商人に捕まり、アメリカ合衆国のアナポリスに連れて来られたクンタ・キンテとその末裔が中心)は、白人に対して、憎しみと復讐の気持ちで臨んでいいものの、あくまでも人道的に振舞う)を見て、黒人に対してポジティブな見方をするだろう。
でも、そうなんだろうか。それだけでいい?
これについては、二つ感じることがある。
ひとつは、ドラマのつくりとして、主人公に、視聴者が「入れ込む」必要があるため、この作品で言えば、クンタ・キンテやその子孫が「あくどい」行為はしないはずなのである。(孫の)闘鶏師、チキン・ジョージはちょっとお調子気味の人物であるが・・・
もうひとつは、クンタ・キンテが「奴隷」として生まれたのではなく、あくまで、ほぼ成人までセネガンビア地方(西アフリカ)で、しっかりした家族・氏族制度の中を生きてきたところがポイントだと思う。
制度の中で生きていくうえで、当然、善悪の観念やルール遵守を学び、愛情や、敬意の表明なども身につけていく。
一方で、生まれながら奴隷の立場であると、どうであろう?
ルールの元で生きているようであるが、他方、支配者たる白人の「横暴」「ルール違反」を見ており、その「横暴」や「ルール違反」が白人であるということだけで認められる、許される、見逃されるということを身にしみて感じている。ドラマ中にも、それを示すエピソードがいくつか描かれる。単純に、白人である、ということで。
それが、いきなり、南北戦争で解消されたら、どうなるだろう?
一部の黒人が「復讐」「力のあるものは、何やっても良い」と考えても、不思議ではないと思う。
『風とともに去りぬ』の解説が、いみじくも、そのことを意味している。
(もっとも、そのせいか、マーガレット・ミッチェル博物館は、放火の憂き目に会っているが。)
その中で、人道的に振舞えるチキン・ジョージ一家は、やはりドラマの主人公たる、傑出した存在であり、それはクンタ・キンテから脈々とつながる、社会認識や、ルール遵守の観念があるからではないだろうか。
「本来、人間社会が持つ善悪やルールの観念が破壊された状態」は、植民地になった地域の人たちにも、同じ苦悩や屈辱、不満を与えていると考えられるが、いかがであろうか。
植民地「被支配民族」も、支配者のせいで、本来の社会制度を失い、力あるものが何やっても良い、という認識をせざるを得なくなっているのだから。
そんなことまで考えさせられる『ルーツ』である。
by rshingen | 2007-04-16 01:46 | その他全般