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R.Shingen's Blog

ラスト、コーション・・・激動の時代を駆け抜けた女性の物語

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#D50で撮影

#以下、「ラスト、コーション」と「ブロークバック・マウンテン」のネタばれがありますので、ご注意を。

1938年、日中戦争の激化で上海から香港に避難してきたワン・チアチーは、抗日劇を上演する劇団の脚本家、クァンに誘われ、抗日劇のヒロインを務める。同時に、日本の傀儡政権である汪兆銘政権の特務機関長イーが香港にいることから、イーの暗殺を試みる。ワンは富裕なマイ夫人として、イーの愛人になるべく接近するが、すんでのところで逃げられてしまう。
やがて1942年、太平洋戦争の最中、上海に戻っていたワンに、かっての組織が接近して、再度、マイ夫人としてイーに接近するよう命じる。首尾よくイーの愛人となるものの、彼の孤独さ、孤高さに引かれていくワンであった・・・

もうすでに上映終了かと思っていたが、六本木と新宿の一部の映画館で上映していることがわかり、あわてて見てきた「ラスト、コーション
ラストは色欲、コーションは注意で、もともとはアイリーン・チャンの小説である。
実際には鄭蘋如(テイ・ピンルー)というモデルがあり、彼女もやはり、日本傀儡政権要人の愛人であった。

映画ではトニー・レオン演じるイーとの激しい(性)愛の結果、最後の最後で組織を裏切り、言葉にならない言葉で「逃げて」とイーに指示し、同志が一網打尽に逮捕され、ワンもイーに助命はされずに、刑場(南の採石場)に連れて行かれる。そして最後、周りのメンバーが泣き叫ぶのと対照的に、クァンに微笑むワン。

ブロークバック・マウンテン」のアン・リー監督の作品であり、事前の世評は結構高かったのでは、と思う。
ただ非常に激しい性愛表現(久しぶりに「ぼかし」を見た!)のため、そちらの方面だけが注目されるのは残念ではあるが。
あの性愛シーンが非常に重要か、と言われると、そうとは断言できないような気もするが、
しかし、
通常の作品であれば、愛を重ねていく過程で、
何度も背景や照明を変えて抱き合うシーンを流していくことで、「二人の中がより深まった」
ことを表現するのに対し、
短い期間に、短い逢瀬をし、激しく愛し合った。互いの孤独と苦しみを忘れるために。
の解釈でOKであるなら、そりゃ激しいシーンが必要だろう、と言った感じか。

最後、イーの愛情にほだされたワンが、組織を裏切るのだが、その前に重要なシーンがある。
ワンは物語を通じ、脚本家クァンに思慕を寄せているのだが、「あれのやり方」の先生も別の男性同志、そしてイーに抱かれている日々であり、その思慕を形には表せない。
しかしクァンも彼女に愛情は持っているので、最後、暗殺決行の前の打ち合わせの時、ついワンに口づけをしてしまう。
そのクァンにワン「どうして、三年前に(口付けを)してくれなかったの」

彼らの愛はこの世では成就しない。この世で成就しないのは互いにわかっている。
しかし互いに愛し合っている。願わくば、死後の世界で成就しようーいわば、第二次世界大戦を舞台にした、長恨歌なのである。

 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
(天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう)

ブロークバック・マウンテンにしても、ラスト、コーションにしても、この世では成就しない愛の物語である。
ブロークバック・マウンテンは愛する人が殺され、ラスト、コーションでは共に死んでいく。
彼女は、組織や大義の面からは「失敗者」の烙印を押されるだろう。
しかし、成就しない愛を持ち続け、まるで死後の世界で成就すべく、刑場でクァンに微笑むワンに、人は涙するのかもしれない。
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by rshingen | 2008-05-07 00:53 | その他全般

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